M-SUZUKI_blog

GSJ主幹”M-鈴木”の、日常とかバトルテックの話とか。

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妄想的方法論のコト

 整備の技術の殆どは勿論正式に学んだ物では無い。
 そもそも当世、真の意味で「正式に学ぶ」と言う事が可能な環境は余りに稀であり、市井のテックの殆どは民間療法的医療行為と50歩100歩の怪しげな行為を多かれ少なかれ整備手順に取り入れている。
 本人にとっては玄を担いでいるに過ぎない行為が、時と共に正式な必須事項に祭り上げられ、その実行が容易で模倣しやすいと言う事実が不可避に真に要求されるべき行為よりも重要であると位置付けられるのに多くの時を必要とはしなかった。
 又、MWが機体の不具合をテックに対して正確に伝える事は非常に難しく、そこには乗り越える事の出来ない壁が立ちふさがっていたと言っても過言では無い。
 そんな状況であるから、決して整備環境に恵まれているとは言い難い立場にあった彼は、自己の経験論的補修整備行為に頼る事になった。
 しかし微妙な故障モードの表現やその修理行為の加減の表現は現在の人間が持つ語彙領域を越えるものであり、勢い無数の造語が誕生し、同時に余人には理解不可能な造語の中にその貴重な経験は埋没し、1代限りで失われる運命にあった。
 その状況に甘んじている事は、貴重な機体の喪失を加速するものでしか無く、日々己が足跡を記録しつづける彼にとって、何らかの手段の必要は急務とすら言えた。
 その答えは既に見出していたと言っても良い。
 それはメックそのものである。
 メックは脳神経ヘルメットを通じて機体制御の一部を人の感性に頼っている特異なマシーンであり、その特性は固有のフィードバックシステムの付加により理想的なマン トゥ マン インターフェイス足りえたのである。
 機体の故障モードを放置しておかなくともその時点の入力/出力応答とMWへの感覚を記録するだけで、微妙な各種設定や方法論の説明を、極めて容易かつ正確に記述する事が可能であると考えられたのである。

 以上かきかけかな?
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