さてどないだ?(C61刊行物掲載)
・ボックススター
カワサキJrは寂れた宇宙港だった。
ニューカナガワに複数ある宇宙港の中でも最も古く、それ故に周辺設備の老朽化が進んでいた。
設備の老朽化は利用者の減少を招き、更に安全性が増した航宙艦システムが新規宙港をより都市に近しい場所へ建築する事を可能とした事が決定的な利用者離れを招いたのだ。
最大の貿易港の座からすべり落ちた後、ここ「カワサキJr」のスラム化は急速に進み、社会問題化していた。
その一方で行政側の対応は官僚的で決め手に欠け、それどころか不正予算捻出の恰好の隠れ蓑となっていった。
しかし予算不足が取り沙汰される様になると、一向に効果を上げない「カワサキJr再開発事業」は真っ先に整理対象物件となり、削減された予算では表向きの整然さすら取り繕う事が不可能となっていた。
彼を見かけたのはそんな宙港を網の目の様に繋ぐ連絡通路の一つだった。
乾燥した埃混じりの空気の中で最初に見かけた時、廃棄された資材梱包用の積層樹脂容器と薄汚れた毛布の主が彼だとは露とも考えなかった。
幾度となく彼を取材した私が、だ。
カワサキJrは寂れた宇宙港だった。
ニューカナガワに複数ある宇宙港の中でも最も古く、それ故に周辺設備の老朽化が進んでいた。
設備の老朽化は利用者の減少を招き、更に安全性が増した航宙艦システムが新規宙港をより都市に近しい場所へ建築する事を可能とした事が決定的な利用者離れを招いたのだ。
最大の貿易港の座からすべり落ちた後、ここ「カワサキJr」のスラム化は急速に進み、社会問題化していた。
その一方で行政側の対応は官僚的で決め手に欠け、それどころか不正予算捻出の恰好の隠れ蓑となっていった。
しかし予算不足が取り沙汰される様になると、一向に効果を上げない「カワサキJr再開発事業」は真っ先に整理対象物件となり、削減された予算では表向きの整然さすら取り繕う事が不可能となっていた。
彼を見かけたのはそんな宙港を網の目の様に繋ぐ連絡通路の一つだった。
乾燥した埃混じりの空気の中で最初に見かけた時、廃棄された資材梱包用の積層樹脂容器と薄汚れた毛布の主が彼だとは露とも考えなかった。
幾度となく彼を取材した私が、だ。
―リチャード・サックス―33歳にして当時の科学技術の粋を集めた名機「ボックススター」(※1)の開発主任を務め、モデュレー社の名を星間連盟内に知らしめた。
次に彼のチームが担当したのは開発が難航していたワスプLAMだった。
ワスプLAMは空力型形状への変形が思いの外厄介で、他にも複数のメーカーが取り組みつつも成功に到っておらず、モデュレー社としても面子を賭けた挑戦だった。
リチャードは新進の設計技師を招聘してこのプロジェクトに取り組み、漸く変形システムにも目途が立った処で急遽配置転換を申し渡される。
(この異動にはワスプLAMのプロジェクトリーダーとの確執も噂された)
ワスプLAMの開発に未練を残しながらも彼が新たに取り組む事になったのはツェットLAMだった。
ツェットはボックススターの流れを汲む廉価版汎用高機動戦闘偵察メックで、しかも更に高度な技術の投入はLAMとしても高性能が期待される潜在力を持つメックであり、新たなLAMの開発プランのスタンダードモデルとしての期待を集めていた。
この大抜擢にはしかし、少なからぬ横車も入り、徐々にリチャードの業務は設計の取り纏めから対外折衝に時間を取られる様になる。
その頃、ワスプLAMの開発は思いも寄らない頓挫の憂き目を見ていた。
テスト中に事故が続発し、2機のプロトタイプはそれ以上に貴重な2名のテストパイロットと共に喪われてしまったのだ。
事故調査委員会の結論は変形システムの根幹部品の強度不足を指摘した(※2)が、モデュレー社はその全責任をリチャードにあるとして放逐同然に解雇した。勿論一部の責任逃れを押し付けられた格好だが、世間は「類発したワスプLAMの失敗事例の一つ」として認識した。そして彼の足跡は途絶えた。(※3)
脂じみた髪と髭が硬くまとわり付き薄汚れた顔に当時の面影を見出す事は困難で、周囲のホームレス達によれば「学はあるが酔うとデカイ話ばかりする」と言う。同情に満ちて。
彼らにとっては夢物語でしか無い、酔った上でのよくある自己憐憫の物語・・・その話の全てが恐らくは真実であろう。
しかし、向けられたファインダーにすら無関心で、周囲のホームレス達に過去の栄光を語る他無くなった彼が再起する事はもうないだろう。
そう思い、私はそこを後にした。
だが、写真を再生した時、私は目を疑った。カメラがシャッターを切るその瞬間、彼はレンズを見返していたのだ。全てを遺棄した者の目では無かった。意思があり、何かを行おうとする輝きが宿っていた。妄想かもしれない、だが、20年に渡って報道写真に関わってきた私にはそう思えた。
十数年後、その直感が正しかった事を知った。
あの出会いから2年後、唯一の成功例として世間を騒がせた55t級LAM「グレイハウンド」が登場した。
その変形システムのコンセプトは古びた、一冊のノートに走り書きにされていた。
あそこで、ボックススターとマジックで殴り書きをした、あの住まいの中で書かれたノートだった。
※1:重量40t、280クラスの軽量核融合炉と高性能放熱器を備え、PPCと3門の中口径レーザーを持つ高機動メック。
210mの跳躍能力は当時でも最高水準と言えた。
※2:胸部関節集合ユニットの固定ピンの強度不足はリチャードが初期設計段階での問題点として当初から指摘していた事項で、彼が継続して開発主任として携わっていれば間違いなく改善されていた筈だと言われる。
※3:共同開発機種だったツェットLAMの開発は大幅に遅れ、最終的に僅か数十機程の完成を以って生産を中断する事になる。
http://www.rx.sakura.ne.jp/~usakura/s-tech/cg/ms0000000012.jpg
次に彼のチームが担当したのは開発が難航していたワスプLAMだった。
ワスプLAMは空力型形状への変形が思いの外厄介で、他にも複数のメーカーが取り組みつつも成功に到っておらず、モデュレー社としても面子を賭けた挑戦だった。
リチャードは新進の設計技師を招聘してこのプロジェクトに取り組み、漸く変形システムにも目途が立った処で急遽配置転換を申し渡される。
(この異動にはワスプLAMのプロジェクトリーダーとの確執も噂された)
ワスプLAMの開発に未練を残しながらも彼が新たに取り組む事になったのはツェットLAMだった。
ツェットはボックススターの流れを汲む廉価版汎用高機動戦闘偵察メックで、しかも更に高度な技術の投入はLAMとしても高性能が期待される潜在力を持つメックであり、新たなLAMの開発プランのスタンダードモデルとしての期待を集めていた。
この大抜擢にはしかし、少なからぬ横車も入り、徐々にリチャードの業務は設計の取り纏めから対外折衝に時間を取られる様になる。
その頃、ワスプLAMの開発は思いも寄らない頓挫の憂き目を見ていた。
テスト中に事故が続発し、2機のプロトタイプはそれ以上に貴重な2名のテストパイロットと共に喪われてしまったのだ。
事故調査委員会の結論は変形システムの根幹部品の強度不足を指摘した(※2)が、モデュレー社はその全責任をリチャードにあるとして放逐同然に解雇した。勿論一部の責任逃れを押し付けられた格好だが、世間は「類発したワスプLAMの失敗事例の一つ」として認識した。そして彼の足跡は途絶えた。(※3)
脂じみた髪と髭が硬くまとわり付き薄汚れた顔に当時の面影を見出す事は困難で、周囲のホームレス達によれば「学はあるが酔うとデカイ話ばかりする」と言う。同情に満ちて。
彼らにとっては夢物語でしか無い、酔った上でのよくある自己憐憫の物語・・・その話の全てが恐らくは真実であろう。
しかし、向けられたファインダーにすら無関心で、周囲のホームレス達に過去の栄光を語る他無くなった彼が再起する事はもうないだろう。
そう思い、私はそこを後にした。
だが、写真を再生した時、私は目を疑った。カメラがシャッターを切るその瞬間、彼はレンズを見返していたのだ。全てを遺棄した者の目では無かった。意思があり、何かを行おうとする輝きが宿っていた。妄想かもしれない、だが、20年に渡って報道写真に関わってきた私にはそう思えた。
十数年後、その直感が正しかった事を知った。
あの出会いから2年後、唯一の成功例として世間を騒がせた55t級LAM「グレイハウンド」が登場した。
その変形システムのコンセプトは古びた、一冊のノートに走り書きにされていた。
あそこで、ボックススターとマジックで殴り書きをした、あの住まいの中で書かれたノートだった。
※1:重量40t、280クラスの軽量核融合炉と高性能放熱器を備え、PPCと3門の中口径レーザーを持つ高機動メック。
210mの跳躍能力は当時でも最高水準と言えた。
※2:胸部関節集合ユニットの固定ピンの強度不足はリチャードが初期設計段階での問題点として当初から指摘していた事項で、彼が継続して開発主任として携わっていれば間違いなく改善されていた筈だと言われる。
※3:共同開発機種だったツェットLAMの開発は大幅に遅れ、最終的に僅か数十機程の完成を以って生産を中断する事になる。
http://www.rx.sakura.ne.jp/~usakura/s-tech/cg/ms0000000012.jpg
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