M-SUZUKI_blog

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軽量級考察其のニ 何故20tメックがこれほどまでに大量に生産されたのか?

 以前から指摘させて戴いております通り、20tメックは戦力にならない事はおろか生存性にも乏しく、戦場で運用する事を現実的選択とする事に憤りを覚える程であると言っても過言ではありません。
 それは僅か5t違いである25tメックでワスプやスティンガーと同じ方向性のメックを試作した時に顕著であり、機動性を等しく歩行速度65km/h(ジャンプ能力180m)で考えると
 ●中口径レーザー1門、小口径レーザー1門、37mmマシンガン2門+弾薬0.5tに装甲3t
  を搭載した標準的な20t偵察メック(頭部に小口径レーザーを搭載と仮定)スティンガーの価格が
  「161万4420CB(注!日本語環境での価格計算です)」
 であるのに対し
 ●中口径レーザー2門、小口径レーザー1門、37mmマシンガン2門+弾薬0.5tに装甲5t
  を搭載した架空の25t偵察メックの価格は
  「194万5313CB」
 となり、価格比は約1.2倍と重量比(1.25倍)を下回っています。
 その一方で攻撃力は1.4倍強、装甲耐久値は実に1.66倍に達しており、このコストパフォーマンスの飛躍的上昇は他の重量比較では得がたい数値です。
 この様に価格に措ける差異が比較的小さく、事実上維持費には殆ど差が無い以上、わざわざ生存性に乏しい20tメックを運用する必然性は無かった筈です。

 それでは何故この混沌たる継承権戦争のパワーゲームの只中にこれほど多くの20tメックが見られるのでしょうか?
 その理由・・・調査結果を報告するにあたってまず古代地球に措ける機甲戦力黎明期の話をさせて頂くべきかと考えます。
 どうか御静聴の程宜しくお願い致します。
 第一次世界大戦で初めて登場した戦車はその当時未だ構造・運用方法を模索している段階にあり、効率的かつ現実的運用を求めて試行錯誤を繰り返していたのです。
 (戦車の運用ドクトリンが完成への道を掴むのは、スペイン内戦での独ソの新型戦車の実戦投入とその評価を待たなくてはなりませんでした)
 勿論塹壕戦の画期的打開策として登場した戦車は急速な発達を遂げるのですが、未だ定まらぬ方向性はカンブリア紀に生命が爆発的多様化の時を迎えたのと同様暴走敵迷走を開始します。
 ただ、パワーゲームの主役の宿命として、殆どの戦車が構造的に肥大化していった事で、円滑な運用に支障をきたし、同時に調達/運用コストが高騰した事実は戦後の軍縮ムードの中で問題視されます。
 そんな世界情勢を背景にして、一軍人のひらめきから誕生し、機甲戦略理論家達の注目を集めた「対歩兵駆逐用小型戦車」
 それがタンケッテ(豆戦車)です。
 その殆どは1〜2人乗りであり、武装も装甲も貧弱ながら重量は2〜5tと軽量、又当時としては快速と言える40km/hと言う機動性から1920年代に多くの国で作成されました。
 但し根本的改革の可能性が入りこむ余地が殆ど見出せない程に切り詰められた車種であり、その殆どがイギリスのカーデンロイドを元にしたものか、そのままライセンス生産を行ったものでした。
 当のイギリスも事情は同様で、改良型「ブレンガンキャリアー」へと発展、更にその多目的型「ユニバーサルキャリアー」(これこそが第二次世界大戦を生き抜いた数少ないタンケッテ実用車輌でした)へと発展した訳ですが、基本設計は殆ど変更されていないのです。
 そしてタンケッテ(豆戦車)は「戦車」として成功作とは言い難いものでした。
 殆どの国家では戦争初期の実戦投入乃至模擬戦闘の結果、対歩兵戦闘すら危ぶまれると結論し、(極端な軽装甲は歩兵携行ライフル/分隊支援火器で充分貫通可能でした)偵察活動に使うほか有効な利用法は無いと判断されたのです。
 又、偵察活動に措ける快速と言う優位性の点では、その後のパワープラント・トランスミッション系の大幅な改善が、より大型の戦車に同等以上の機動性を保証し、タンケッテが偵察活動に独占的有効性を持ち得る時代は瞬く間に過ぎ去ったのです。
 しかし、タンケッテは前述の通り、多目的補助車輌として生き残る事に成功しました。
 イギリスを中心に第二次世界大戦(特に欧州において)では非常に数多くのユニバーサルキャリアーが投入されています。
 これらは自衛用の火器を搭載した上で歩兵搬送から飛行場での爆弾搬送まで実に広汎に利用されました。
 小回りが利き、運用の容易なユニバーサルキャリアーは、ある意味究極の段列補助車輌だったのです。

 20tメックが登場した際の時代背景はタンケッテが戦場の影の主役として期待されていた当時の状況に非常に類似した点を数多く持っています。
 当時の大型メックは技術的に未完成の部分を多く抱えたまま、しかし戦場での要求に追われる形で更なる大型化を見せつつ製造・運用されていました。
 基盤技術の不足は僅かな重量増大を極端な死重量増に直結し、それは今日の戦闘用メックに比べ「ある一定の機動性を求めた場合の最大効率重量」は早期に限界を迎える原因となりました。
 つまり当時の大型メックは今以上に鈍足傾向が強かったのです。
 更に無理な機体重量の増大は今以上の価格高騰を招く傾向にあり、戦乱の中で在来型車輌よりも生存性に優れる「メック」で、尚且つ偵察に充分な効果を発揮し得る、そして安価な機体を望む声は早期に20t偵察メックとして結実する事になります。(基盤技術の発達が兵器の到達点をシビアに決定する以上、この結果は当然だったと言えます。)
 この時求められた性能をゼネラルメカニクス社の開発した「ワスプ」は完全に満たしており、一躍中心領域全体で採用される人気機種になるに至ったのです。
 この後ワスプの生産が間に合わない事からアースワークス社が「ほぼ同等の機体」を要求され、「スティンガー」をロールアウトし、更にこの発展型としてフェニックスホークが製造された事は皆様も良くご存知の通りです。
 その通り、フェニックスホークを始め、現在スタンダードメックとして名を連ねる中量級メックが登場し始めた頃には、45tの機体に効率上の目だった低下も無しに20tメックと同等(少なくともワスプ・スティンガーと同等)の機動性を与える事は困難では無くなっており、それを実現する為のコストも当初に比べ大幅に低下していたのです。
 最早20tメックを無理に前線に投入する必要はなくなっていました。
 それどころか急速な技術発展は更に重いメックをも高機動化させはじめ、その流れは20tはおろか、生半な軽量級では抵抗が予測されるエリアの偵察行動には投入出来ないと判断させる状況に陥りつつあったのです。
 その意味では30t未満の戦闘/偵察用メックは、より生産の規模を縮小して然るべきだったと言え、事実20tのそれに対する優位性にも関わらず25tクラスの機体は殆ど開発されませんでした。(まとまった数が生産されたのは、「20tに収まりきらなかった」コマンドウと、特殊センサーを搭載した上でヘルメスに次ぐ快速を誇ったマングースの2機種のみです)
 しかし後方に措ける補助・警備活動用のメック戦力としては前線に出す事の出来ない程度の機体で充分であり、その目的の為に新規に中途半端な重量のメックを新規生産するよりは、既存の機体を流用する方が効率的である事に疑いの余地は無く、加えてそれまでの大量生産態勢が生み出した極端な低価格、そして何よりこれまで市場に供給された機体の性能維持の為の交換部品供給の需要は20tメックを生き残らせる原動力として作用しました。
 企業の側としても安定した利益を生み出すラインを閉鎖する必要を感じなかった(当時はラインの新設に現在程苦労をしなかったのです)上に、効率アップを求める余り「専用ライン」化した製造工程は他の機体の製造への転用がきかなかったのです。
 そして、星間連盟が崩壊します。
 その後吹き荒れた破壊の波は多くのメック製造工場を廃墟へと変えて行ったのです。
 当然攻撃目標としては主力と呼ぶに値するメックの製造工場が優先的に選択される事になり、多くの名機が生産ラインごと姿を消して行きました。

 そして「望まれざる」20tメックの時代がやって来たのです!
 最も多数が稼動する3機種(ワスプ・スティンガー・ローカスト)の生産拠点は、製造物の性格故にその殆どが生き残る事になり、今尚活発に生産活動を営み、潤沢な交換部品と新しい機体を供給しているのです。


 最後に非常に興味深い「符合の一致」についてお話しておきましょう。

 ゼネラルメカニクス社の20tメック「ワスプ」が2連SRMランチャーを装備しており、時としてインフェルノ焼夷弾頭を使用している、又、D型は火炎放射器を搭載している事は周知の事実と受け取って宜しいかと存じます。

 さて、前述のタンケッテの末裔「ユニバーサルキャリアー」には数少ない戦闘用車輌が存在しました。
 その中には「ワスプ」と呼称される火炎放射器型が存在したのです。

 ゼネラルメカニクス社の開発スタッフに、己の開発した機体の運用上の限界を見越したブラックユーモアのセンスがあったのか?
 それとも単なる偶然なのか?
 現在では知る事の適わない、時の彼方に過ぎ去った見果てぬ真実に他なりません。
 残念な事です。
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